10月14日付日経新聞に、<「認知症が死因」認識弱く 医師、肺炎死と認定 根強い偏見>という記事が掲載されていました。
アルツハイマー型認知症の患者さんが亡くなった際、死因を肺炎とすることが多いことに疑義を呈しています。
認知症の進行度によって、活動量が段階的に低下することを表で示してもいました。
確かに、認知症が進行することで間接的な死因になることはあると思います。
ただ、「死因:認知症」と言い切ることには、違和感を覚えるのは私だけでしょうか?
死因といえば、直接的なものを指すのが一般的です。
肺炎・ガン・脳卒中・内臓破裂・多臓器不全など、内因・外因さまざまありますが、直接臓器の機能を止めてしまうものばかり。
翻って、認知症は直接臓器の機能を止めるのか、という点に疑問が生じます。
上述した中の多臓器不全を例にすると、◯◯病・症(例えば敗血症)による多臓器不全、という言い方があるように、傷病を前提とした死因であるなら理解はしやすいでしょう。
これに準じると、認知症の進行による肺炎、という呼び方であればまずまず納得しやすいかと思います。
これが「死因:認知症」では、括りが大きすぎて理解しづらいと思うのですが。。。
上の問題がそれこそ「問題」となるのは、死因を一つに特定するからこそ起こるものです。
間接的死因→直接的死因と併記が一般化すれば、そのような問題も解決するのではないかと考えます。
ちなみに日経記事の中では、アメリカCDC(疾病対策センター)が2014年に認知症による死者が1999年比55%増えたとして、「fatal(命に関わる)」疾患と表現し警告したとあります。
アメリカで死因の表現がどのようにされているかは知りませんが、死因を一つに絞ることが難しいケースというのは少なからずあるはずです。
認知症は機能低下や活動量低下をもたらすことは明白ですので、それが他の疾病を引き起こすことは容易に理解できると思います。
また、活動量低下に伴って転倒したり事故に遭ったり、という可能性もあります。
ただ、「死因:認知症」と表現することは、前述の通り大括り過ぎて不透明感があります。
日経記事の表題にある「偏見」という言葉は、この場合当てはまらないと思います。
死因は一つに決めなければならない、という慣習があることこそが問題であり、認知症を死因としないことに問題があるわけではないと思うのですが、皆さんは如何お考えでしょうか?
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